猫な存在論(cat3)ー 猫は「可愛いもの」として存在している?

猫が、カワイイ?・・・

もちろん、ある種のニンゲンにとっては、猫のどこが「カワイイ」のか分からないだろうし、「可愛い」どころか「可嫌い」なのであるから、「猫嫌い」といわれてるわけだが、かならずしも「ネコ科嫌い」というわけでもない。
(別に、調査したわけではないけど、猫は嫌いでも、ライオン、トラ、ヒョウ、ジャガーチーターなど、そのたくましい姿に憧れるニンゲンは、ありうるであろう。)

だが、そんな「猫嫌い」の人でも、知らず知らず「キャッ!」と?か「ね〜ぇ?(にぇ〜?)」とかの「猫なで声」を出して、ニンゲンのだれかに甘えている姿を目撃することがある。
ここに、ハイデッガー先生のおっしゃる「猫嫌い」と命名された「存在者」と「猫なで声」を出して存在する、その「存在」(の仕方)とを区別しなければならない所以がある。(なにやらクマゴローが、ちょっと得意げな顔をしている。笑ってやってください。)

ところで、ニンゲン(特に、その?性)が思わず(あるいは意識して)「猫なで声」を出してしまうのは、ニンゲンと猫との付き合いが、いかに長いか、ということの証であり、その現れでもある。(と、クマゴローはますます得意げだ。ふむふむ。)その長い歴史を通じて「猫はニンゲンを感化している!」というのは、あながちクマゴローの勝手な思い込みではないのかもしれない。
あの名高い「グレシャムの法則」(「悪貨は良貨を駆逐する」)にちなんで、これは「シャムネコの法則」と名付けても良いであろう。(ふむふむ・・・。)

すると、「シャムネコは気品の高い猫なんだから、ニンゲンに猫なで声なんか出して媚びたりしないわよ!」とおっしゃるご婦人がおられるような気もしてくる。
確かに「シャムネコ」(タイ王国原産。つまり「王国」由来の猫様ということだ)は気品が高い、というか、近寄りがたい猫だ、という印象をクマゴローも抱いている。というのは、身近に飼われていた血統書付きの「シャムネコ」が、そんな感じの「鼻でヒトを食ったような」猫だったからである。

しかし、たった1匹の「シャムネコ」で「気品が高い」だとか「近寄りがたい」だとかの結論を引き出す勇気は、例証の乏しい現在のクマゴローには、ない。ただ、「グレシャム」の「シャム」と「シャムネコ」の「シャム」で「語呂遊びの法則」をクマゴローが得意げに披露しているのだと思ってもらえるなら、手前味噌が美味しくなり、「にゃ〜?」と啼きたくなるというものだ。

今は亡き初代の「ミンカ」は、シャム猫ではなかったけど、気品の高い猫だった。「おいで、おいで」と手で招いても、プライドがあるのか、すぐには来なかった。手招きしたニンゲンが忘れた頃、知らぬ間にそのニンゲンの膝の上で、なに食わぬ顔をして寝ていた。

それから、知る人ぞ知る?突然いなくなった「みん」ちゃんは、だれからも愛される、どちらかといえば、ニンゲンに対してあまりにも無防備な猫だった。全身全霊に「可愛さ」が満ち触れていて、こんな猫は未だ見たことがない!
クマゴローの店(?1)は、この「みんちゃん」の存在でもっていたようなものだ、とみなさん思っている(らしい?)。

思い出話ばかりしていても仕方ない。いま、目の前にいる猫たちは、どうなのか?
「ノン」・「ロン」・「ラン」は、まあ、それぞれの「可愛さ」を持っているとは言えるが、「みん」には遠く及ばない。「みん」は、立ち上がって「ぽんぽん」と胸のあたりを軽くたたいて見せると、軽業師のようにクマゴローの肩に上に飛んできた。「ノン」や「ラン」や「ロン」は、「猫にこんなことが出来る能力があるんだ」ということさえ知らないようだし、知ったとしても、それをするほどの愛嬌は持ち合わせていない、ように見える。(母親の「ノン」は一度ニンゲンに飼われたことがあったのかもしれない、と思わせる気品を感じさせるが、それでも「野良」の生活が長かったのか、いまだに、どこかニンゲンを警戒しているところがある。

「みん」は、だから、いまや「伝説の猫」として語り継がれている。(実際、みん(店)のお客さん(当時小学校1年生の女の子)が、お母さんと一緒に、なんと素敵な「立体絵本」を作ってくれたことか。これは、クマゴロー一家の「一生の宝もの」になるであろう!)

しかしそれにしても、どうしてこんなにも、同じ親猫から生まれた猫ちゃんたちの性格や「可愛さ」の在り方が、ちがってしまうのだろうか?それは、ニンゲンの兄弟姉妹が同じ親から生まれても、まるでちがう「個性」を発揮するようなるのと同じことなのだろうか?ニンゲンも猫も「性格」のレベルでは「同族」ということなのだろうか?

ランやロンが、ちょろちょろ動くトカゲを捕まえたり、ひらひら飛ぶモンシロチョウを追いかけたりするのとおなじように、クマゴローも、ちらちらする赤いモノについ眼がいったり、ひらひらするスカートのようなものをわれ知らず追いかけたりしてしまうのは、ランやロンとクマゴローの遠い祖先は「おなじである!」ということを意味するのであろうか?

おそらく、断言はできないが、ニンゲンとおんなじように、ネコには猫の「存在と時間」がある!
(この証明は、実は途方も無く困難を極めるであろう。かのハイデッガー先生の「現存在」の定義に触れる問題だからである。)

さて、ところで、そうであるとして、では、ニンゲンと猫との付き合いは、いつ頃から始まったのか?

(?1)みんちゃんがいた頃は、「Soba House みん」という名前の蕎麦屋。いまは、移転を機に「蕎麦茶房 みん」と名前を変更しています。広島では、いまだ「希薄な存在」で、細々とやっております。来られる人は、一度ひやかしに寄ってみてください。「猫な哲学」の主人公たちに会えるかもしれません・・・(ちゃっかりと、宣伝?)