はてな?猫な?

これから、自分の猫的で、いかにも哲学めかした文章を書いて行くのに、どうしてここ「はてな」を選んだのか?

もともと「哲学」の語源である「Philosophy」ということばは、「知を愛する」などといわれているけれど、本当は「はてな?」と猫のように首を傾げ、全宇宙のことどもやことばについて、耳をそばだてている姿のことをいうのではないか?と思ったからであります。

猫はどうして、ここにいるのか?
猫はどのように、世界を見ているのか?
猫がなにかを創作しているとしたら、それはいったいどんなものなのか?

いわば「哲学的」といわれている言い草をするならば、猫の「存在論」、猫の「認識論」、猫の「創作論」とでもいうほかない三つのテーマが、これまた「猫のように気まぐれに」、ここ「はてな?」で語りつがれていくことでしょう。

人ごとならぬ、猫ごととしてお付き合い願えれば、「哲学」と銘打った本人としては、いささか気も楽になるというものであります。

ところで、この「わたくし」は、いったい何者なのでしょう?
ときにニンゲンを名乗り、ときにクマを名乗り、はてはネコになりすましたりもする、不定(不逞?)の輩とでも言っておきましょうか。

「瓢簞から駒」ではなく、「猫に小判」でもなく、「瓢簞から猫が出てくる」ようなお話になるやも知れませぬ。(本人も実に「知れませぬ」です。)

これから、長い長い「はてな?猫な?」の物語が始まるでことでしょう、という当てにならない前口上にて、ご挨拶のことばとさせていただきます。